寺子屋のスゴさ!
寺子屋とは、江戸時代に日本の全国各地に
存在した庶民の教育施設でした。
その多くは町民が師匠となり、
子どもたちに文字の読み書き、
そろばんなどを教えていました。
広く庶民に開かれた存在で、
学校教育の理想形といわれることもあり
独自のカリキュラムや学び方を
持っていました。
寺子屋の教育は、
庶民の日常生活に必要な実用的なもの
を重視していました。
多くの寺子屋で教えられていたのが、
江戸時代の町人に必要だったそろばんや読み書きです。
学習は、まず「いろは」や数字などから始め、
師匠の「手本」を見ながら書き習う形式だったようです。
寺子屋の歴史は、なんと室町時代後期にまで遡り
「寺子屋」の名は、寺院で行われていた師弟教育から
始まったことに由来しています。
当時は寺に寝泊まりする形で勉強していたようです。
寺子屋が庶民の間で一般的になり、
最も盛んにおこなわれていた江戸時代。
戦乱の世が終わり、平和で安定した社会が到来すると、
文字や計算を学ぶことの必要性が
庶民の間にも広がるようになりました。
将来、職に就く際に必要な知識の習得や、
生きていくために学ぶ必要がある教育は、
本来家庭内でおこなわれていましたが、
仕事で多忙のため十分な教育を行えなくなった親が、
子の教育を外部委託する形で寺子屋が広まっていきました。
江戸時代には「藩校」や「私塾」と呼ばれる
教育機関もありましたが、
これらは一般庶民を広く対象にしたものではなく
藩校は、藩士などを生徒に兵法や武芸、
儒学、蘭学、医学などを教えていて、
藩が運営していました。
また私塾は、蘭学者や儒学者が開いたものが多く、
オランダ語や数学技術など高度な内容を教えていました。
生きるために必要な実用的な内容を教えた点で特徴的なのです。
寺子屋のスゴさは、
今でいう「個別教育」がおこなわれていたことです。
当時は子どもが親の職業を継ぐことが
多かったことから、親の職業や本人の希望を
元にした個別のカリキュラムが
師匠によって組まれていました。
農民の子どもには「百姓往来」、
商人の子どもには「商人往来」、
職人の子どもには「番匠往来」など、
それぞれに合わせた教科書「往来物」が用意されていました。
また、現代の学習指導要領でも触れられている、
主体的、対話的な学び方「アクティブ・ラーニング」は、
寺子屋の教育そのものです。
同じ教室にいる仲間たちに教えてもらったり、
教えたりしながら生徒たちは主体的に学んでいました。
こうした学びがあったからこそ
明治維新以降に西洋から入ってきた
文化を理解することができたり
優れたリーダーが排出されたのでしょう。
寺子屋でおこなわれていた教育は、
現代の教育に全く引けを取らない
実用的で主体的なものです。
江戸時代、一般庶民を含めた
国民の教養の高さでは、
日本が世界をリードしていた!
といっても過言ではないでしょう。
現代の学校教育だけでなく、
家庭教育の場でも
寺子屋の教育方針や学びのスタイル、
このような子どもたちへの関わり方から、
多くのことを学べるのではないでしょうか。
助け合い、思いやり
真剣に未来を考えた
当時の大人たちの愛を感じますね。
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